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「あなたは完璧」の意味

よくスピリチュアルの教えなどで、「あなたは完璧です」と言われますね。

実は、覚醒体験をするまでは、
「私は完璧だ」という意味がよく分かりませんでした。

よくよく考えた末、私たちがいわゆる欠陥を持って生まれるのは、
その問題や障害を克服し、成長するためだと理解しました。

だから、「成長のために」課題があることは、「完璧である」という風に解釈していました。
つまり、乗り越えるため、変化するため、進化のチャンスなのだと解釈したのです。

その解釈はある意味、当たっていて、
ある意味、間違っていると思います。
個人の私たちは、
感情や感覚、思考を体験する空間であるため、
絶対値(ゼロの空間)の中で、あたかも、何かを改善したり、
あたかも自分の意志で何かを選択するという
奇跡の体験を表現できる空間です。

だから、何かの状態を「問題」だと感じ、
「選択」して「改善」することは
完璧に「人間」という体験を表現しています。

でも、問題を乗り越えられなかった時、私達は完璧ではないでしょうか?
あるいは問題に気づかずにいる人は、
欠陥であり、完璧ではないでしょうか?

本当の私たちはまさに、無条件の愛そのものです。

いわゆる真我(本当の私たち)は、世界をあるがままに創造していて、
どこを変えようとか、どこが悪いなんて、
これっぽっちも思っていません。

それどころか、どこにも意味なんてつかなくて、
ジャッジすらできず、何もひっかからないのです。

だから、問題に気づかない人も
その人はその人のままでよく、もう既に完璧なんですね。

私は白いソファを使っていますが、
新品の状態は永遠には続かず、
自然の摂理通り、どんどん汚れてきています。

私は、ソファを拭く度にイライラしながら「新品同様、白くあるべきだ」と思っていましたが、
ソファの方はどうも、何も気にしていない様です。

自分はなんてだめなんだ、もっと白くあろうとか、
自分は衰えた、もっとふかふかになろうなんて考えず、
ただ、自然にあるがままの状態を美しく表現しています。

もっとこうだったら完璧なのにと
思っているのは私だけですね。

ある状態を「問題」か「障害」とジャッジするのは
個人の私たちが勝手に決めていること。
世界はありのまま、ただあるだけで、
本当は、どこにも障害はないのです。

私たちはもう既に完璧です。
あなたが怒っているときも、
失敗したときも、
何かを受け入れられなかったとしても。

もちろん、そのままで完璧だからといって、
変化や行動を否定しているわけではありません。

例えば、雨が降ることはもう変えられませんが、
完璧だからといってずぶ濡れになる必要はどこにもありません。

雨が降ることに抵抗せず、ただ傘をさす。
汚れることに抵抗せず、ただ拭く。
飢えている人がいたら、食事を与える。
出来事に抵抗せず、ただ行動する。

世界をそのまま受け入れたとき、
あなたの行動はとてもシンプルで好奇心に満ち、
そして慈愛に満ちています。

想像したことがあるでしょうか?

答えを間違ってしまったときも、
自分は美しくないと思ったときも、
誰かを傷つけてしまったときも、

私たちはいつも許されていること。

そもそも、何かに許される必要なんてなかったこと。

それは、罪をごまかすためのいいわけではなく
そもそも罪がなかったことを真に理解することです。

私たちは最初から
許される必要もなく、
どこもひっかからず、
いつでも完璧です。

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