「これが私だ」と決めているもの

悟りの問いかけ

こうやって、生まれてから死ぬまでを眺めていると、

私たちは常に変化していることがわかりますね。

突き詰めると、生まれる以前にも受精があり、細胞分裂があり、
死亡してからも灰となり、土となり、
それは何かの一部になって….
永遠の環の中にあります。

悟りの問いかけ

変化は目に見えないこともあるけれど、一度たりとも、固定されたことがありませんね。

それは、川の流れのようなもの。

川の中には「流れの早いところ」や
「うずまきになるところ」があるけれど、

それはいつでも1つの川であって、
決して切り取ることができず、
どこかの部分が単独で存在したことがありません

でも私たちは、「私の目」で確認できるから、
うずまき」などと名前で勝手に区別しだします

でもその「うずまき」を突き詰めると、人によっては、
「波の薄くなっているところまでー」と思っていたり、
「白い泡のところまでー」と思っていたり。

どこからどこまでを渦巻きと呼ぶかは、人それぞれです。

そこで私たちは、ここから5センチまでがうずまきと呼ぼうとか、
流れの早いのは「善」で
流れの遅いのは「悪」にしようと決めだします。

悟りの問いかけ

そうやって切り取ったのは「思い」であって、

常に変化しているものは、

一度も

独立した個体として存在したことがありません。

 

変化するものは、個体として
正確に数えられないのです。

 

変化する川の流れの中で、
「ここから ここまでが うずまき」という概念が現れただけ。

 

変化する現象の流れの中で
「ここからここまでが 私 」という概念が現れただけ。

 

変化する現象の一部に、それがひもつけられただけです。

 

それは、どんな名詞でもー
テレビでもビルでもー同じこと。

鉄が固まって釘となり、
部品が組み立てられ、
さびとなったり、
朽ちて土となったり、
粉々になったり、
どんな名詞も、変化という川の流れの中にいます。

私たちは、一度も一人ぼっちだったことがありません。

私たちは、一度も世界から切り離されたことがありません。

 

私たちは、一度も実在したことがないのです。

 

「これが私だ」ー

世界からあなたを切り取るのは、

個の私の思い(錯覚)なのです。

「自分という錯覚を見つける」問いかけ

悟りの問いかけ

先日、悟りのワークショップを開きました。
(といっても試作段階!)

私の場合、覚醒体験の直前、
「細いと太い、男か女か決めているのは誰か?」
という微細な問いかけがわき起こり、
「自分だ!」と分かった瞬間
覚醒体験が起きたんですね。

それ以来ー、
全体を見えなくするこのモヤに気づくためには
どうしたらいいのかを考えてきました。

こちらはその第一弾。

「私」という錯覚にヒビを入れる問いかけです。

①あなたは いつからいつまで あなた なのか?

ちょっと難しい聞き方かもしれませんが、
「いつからいつまでがあなたなのか?」と聞くと、
たいていの人は「生まれてから死ぬまで」と答えます

悟りの問いかけ

それでは、精子と卵子が受精する直前は?と聞くと

「とても自分ではない」と言います。

悟りの問いかけ

それでは、生まれる5分前のあなたはどうでしょうか?
と尋ねると

「それは自分だ」と言います。

悟りの問いかけ

それでは受精卵の時は?
「自分ではありません。」

悟りの問いかけ

それでは6週目は?
「いやぁ自分という気がしない。」

どのあたりから自分だと思いますか。
「たぶんー目と口と鼻…器官が出来てからだと思うんです。」

では、8週目くらいの時は自分ではなさそうですね。
「そうですね。」

悟りの問いかけ

では、爬虫類のようなこの時期から、器官ができる間は
いつからがあなたと言えそうでしょうか?

 

目ができる途中や、器官ができる過程で、いつからあなたと言えそうでしょう。

 

心臓は出来上がったけど、胃が未熟なときは?
目が出来上がったけどまだ見えていないときは?

「….。」

悟りの問いかけ

ひるがえって、お母さんの目線で、妊娠が分かったときを想像してみましょう。

お母さんは、「あなたではない何か」に、
もう既にあなたの名前を付けて呼んでいたかもしれません。
お母さんは、もう一人ではないーそう強く思ったことでしょう。

お母さんは「あなただ」と定義したわけです。

悟りの問いかけ

それでは時を進めて、

仮の話ですが

お亡くなりになった後の、遺灰の粒。
これはあなたでしょうか?

「いいえ。」

それでは
心停止して3分後はあなたでしょうか?

「うーん、自分ですね。」

心停止の3分後はあなたで遺灰はあなたではないー
では、燃やす直前は?
「それは私です。」

半分燃えているときは?
『なんとなく自分じゃない気がします」

どのあたりまでが自分でしょう?
「なんとなく、頭を入れるところまで?…という気がします。」

なるほど、では頭の先が入った瞬間から
あなたではなくなるんですね?
「そうですね….。」

悟りの問いかけ

ひるがえって、あなたを見つめるご家族に目線を動かしてみましょう。

火葬場にあなたの頭が入った瞬間から、
もうあなたではないと思うでしょうか?

ご家族が遺灰を大切に扱うのは、
やはり、それがあなただからです。

悟りの問いかけ

実は、いつからいつまでの答えは人によって全く違います

生まれてから死ぬまでと思っていた人も、
それでは出産時、頭が出た時は?
へその緒がつながっているときは?
と、突き詰めると、どこからが自分なのか分からなくなってきます。

受精卵からという人もいれば、
亡くなってからなんとなく15分くらいまでとか、
本当に答えはバラバラです。

そして、やはり答えを細かく突き詰めて行くと、
その境目が分からなくなります。

また、自分が絶対だと思った定義も、
自分が親となったり、家族になったりと、あらゆる立場になったとき、
定義はあっという間に変わってしまうんですね。

もちろん、正しい答えを見つける問いかけではありません。

大切なのは「あなた」を正確に定義づけることができない
ということでしょう。

そして、「私」という定義は人によって全く違うという点です。

人によって、答えがあっというまに変わってしまうなんて、
絶対の真実といえるでしょうか?

立場によって、答えがあっという間に変わってしまうなんて、
絶対の真実といえるでしょうか?

言えないですよね。

ここからここまでが自分だーと決めているのは
何でしょうか?

「自分」というラインを決めているのはー
「あなた」の「知識」です。

だから、それは人によって、立場によって、
宗教や科学の知識によって、
「あなた」というラインはあっという間に変わります。

続く〜

個人の私とは

リベットの実験をご存知ですか?「こうしよう」と思った瞬間には、もう既に体は動き出していることを証明した実験です。

つまり、行動が先で、思いが後から生じるということなんですね。

私たちは、自分が決断したり、自分が体をコントロールしていると信じていますが、そうではありません。

現象(行動)が起きて、「こうしょう」という思いが沸き上がり、
脳によってあたかも自分が決断したように錯覚させられているということになります。

科学的な実験からも、個人の「私」は何も決めていないことが分かります。

沸き上がる思いと現象(行動)が脳の機能によって処理され、錯覚させられているということですね。

個人の私は何かというと、沸き上がる思考ー感情ー感覚(体)がひもつけられたものです。

そこに実体がありません。

ここで私たちにできることは、自分が全てをコントロールしている(したい)という思いを暖かく受け止め、
そうではない可能性に少しだけ目を向けてみることです。

もしかしたら、そんなはずはないという思いがわき起こるかもしれません。
例えば、来週の予定を決めたし、お昼にパスタにしようか和食にしようか決めたし、大切な人との別れを決断してきたと。

でもそれはあたかも「自分が何かをしている、自分が何かを選択している」という錯覚させられた思いー幻想の1つです。

実際のところ、
私たちは、 自分の思いを100%コントロールしているでしょうか?
自分の体を100%コントロールしているでしょうか?

鼓動や脈の早さを、
性格や体重を、
発言や考えを、
100%コントロールしているでしょうか?

ここで「私=全体」をもう一度、思い出してみます。
私は何もコントロールしていないと聞いて、沸き上がる思いや、むなしさ、怒りがあるのならそれは大切に見つめてみます。

そして、少しだけ全体に目線をずらしてみます。

何も無い世界で「選ぶ」「決める」という体験はー
奇跡の1つですから。

はじめに

サイトをご覧いただくときは、ぜひ私=個人というレイヤーを捨てて、私=全体というレイヤーで読んでもらえたらと思います。

ちょっと難しいと思うのですが、「私は世界全体だ」という発想をとりあえずマインドセットする感じです。

私が初めて悟りについて知り、アジャシャンティさんの本を買って読んだ時、何を言っているかさっぱり分からず、最後まで読み切れませんでした。なんでこんなに比喩を使うのかなぁと思ったものです。

ところが覚醒体験後は、ティーチャー達がシンプルに真実を語っていたことがわかりました。比喩ではなく「空は青いです」と言っているような感じです。

私=個人を当たり前のベースとして読んでいるときは、悟りはまるで比喩か、遠い世界に聞こえます。
「私はいる」と「私はいない」ー基本の構造が全く逆ですから。
より理解しやすくするために、「私=全体」という発想をとりあえずマインドセットしてみます。

悟りを体験的に理解するーダイレクトパス(見ること)

ダイレクトパス
ダイレクトパス
ダイレクトパスタイトル

私たちは、「ほくろが1つ」というように物を数える。
でも、ほくろだと決めているのは誰なんだろう。

ダイレクトパス

1つのほくろを顕微鏡でものすごく拡大したのなら、
私たちは途端に境目が分からなくなる。
突然、「1個」と数えられなくなるのだ。

ダイレクトパス

Aさんは、より茶色い部分を差して「1つのほくろ」というかもしれないし、Bさんは、より肌色に近い境を差して「ここまでが肌」というかもしれない。

対象は同じ物でありながら、拡大したり縮小したりした途端、
私たちはいとも簡単に「1つ」を定義できなくなる。

ダイレクトパス

「1つのほくろ」と呼ぶにあたって、参照したものはなんだったんだろう?

実は、私たちの標準的な目で見たこの色の違いだー。

それは、拡大したり縮小したり、視点が変われば
いとも簡単に数えられなくなるー曖昧な境。

「物体」を知覚し「机」とか「犬」とか区別するとき、
私たちは勝手に、自分が「こうだ」と決めたラインで
物事を区切っていく。

ダイレクトパス_seeing
ダイレクトパス

ダイレクトパス ー見ることー

 

1 テーブルに紙を置く。

ダイレクトパス

1 紙とその回りに注目してみよう。
(周辺の物が視界に入っても無視しよう。)

2 テーブルに集中する。
紙が背景の一部に見えるまで。
思考が沸き上がっても、一旦脇に置いて。

ダイレクトパス

3 気づき

「テーブル」と「紙」の違いは、単純に「色」であることに気づこう。

実際のところ、紙は白色の現れ。
そしてテーブルは、茶色の現れ。

視覚的な体験そのものは、
「紙」と「テーブル」ではなく、
突然の色の変化だけだ。

ダイレクトパス
ダイレクトパス

4 【 立体的な物でTRY 】ー卵をテーブルに置く
(ゆで卵がオススメ…)

5 卵と、その回りに注目する
(周辺が視界に入っても無視しよう。)

6 テーブルに集中する。
卵が背景の一部に見えるようになるまで。

ダイレクトパス

7 気づきー
テーブルと卵の違いは、単純に色であると気づこう

実際のところ、卵は白色という色の現れ。
そしてテーブルは茶色という色の現れ。

視覚的な体験そのものは、
「卵」と「テーブル」ではなく、
突然の色の変化だけだ。

8 思考は「いやいや、テーブルの上に卵があるんだってば。」と言うかもしれない。

でも、私たちは、重なり合った白と茶色を同時に見る事はできない。
見えるのは、ただ白色だけ。

私たちの視覚的な体験そのものは、白色と茶色という、色の変化だけだ。

ダイレクトパス

9 立体の錯覚を見つめる

テーブルの上の、卵の影を見てみよう。
「影」は、奥行きや深さをほのめかしてくる。

ダイレクトパス
ダイレクトパス

でも、「見る」という体験は、深さや重さを測る事はできない。

実際のところ、影は、より暗くなった「色合い」でしかない。

ダイレクトパス
ダイレクトパス
ダイレクトパス

10 視覚的な体験は、本当に、高さや距離を示しているんだろうか?

あなたが、額縁の中の絵を見つめるとき、
たとえ奥行きを感じても、
実際は平面的な一枚絵だと分かっているだろう。

色という体験そのものは、二次元。

近いとか遠いとか、
深いとか浅いという三次元の世界を
直接「見る」ことはできない。

もちろん思考は
「どうみても、テーブルの上に卵があるよ。」
と言うかもしれない。

一旦、額縁の絵を見つめるように、「色」として世界を見直してみよう。

私たちは経験的に、視界の上方にあるものは遠く、下の方にあるものは自分から近いと思う。
物体の影(より暗い色)を見つけては、立体的だと思う。

つまり私たちの「思い」が距離と奥行きを与えるのであって、
視覚的体験そのもので、直接、距離を測る事はできない。

ダイレクトパス

11 卵から自分へ目を向けてみよう。
テーブルとみかんを分け隔てるものは色でしかない。
あなたとテーブルを分け隔てるものも色でしかない。
(もちろん思考や感覚がわきあがるだろうけれど、ちょっとそれを湧きにおいて)

「あなた」は本当はどこにいるんだろう?

Q&A : 悟ることが最終的な魂の目的ですよね?

悟ることが最終的な魂の目的なんですよね?
悟りを得るためにこの人生ゲームを行っているんですよね?

というようなご質問を頂く事があります。

私が一番しっくりくる答えは「分かりません」ですが(笑)
二番目にしっくりくる答えは「違います」という答えです。続きを読む →

世界は自分の解釈を映し出す鏡ー投影を知るー

世界は、自分の解釈を映し出す鏡です。

本当の私たちー真我には主体と客体が無いため比較対象がありません。
世界には何もないのに、自我が意味を与えることで私たちの世界が成り立ちます。

言葉にはどうしても限界があるため、恐れベースの自我は言葉だけを切り取って、
「自分の思いが世界を作っている」などと勘違いしたり、
あるいは「何も無いのか、何だかつまらないな」などと思われるかもしれません^^

それもやはり、ただの解釈になってしまいます。

「世界は自己解釈の投影である」という言葉から私たちができること、
それは苦しみを生み出す自己解釈の境界線を見極めることです。続きを読む →

悟りと科学:脳の働きは誰が指示しているの?

“Collective Evolution”より、悟りの領域を科学的に説明する記事を翻訳してみました。
“CE”は意識の拡大を目的としたコンテンツを豊富に掲載するサイトで、Facebookでは44万のいいねがつく人気サイトです。

神経科学の分野において、脳は個人の私たちの意志ではなく他の何かから指示を受けていることが分かって来たそうです。

記事で取り上げられている「神経の可塑性(かそせい)」は、外界の刺激によって神経(脳やシナプス)がその構造や機能を変化させることを差します。
可塑性は、思考や行動、世界の知覚まで変化させることができるというものです。
しかし、変化させるよう指示しているのは紛れも無く、個人の私たちではありません。続きを読む →

幸福な降伏と、あきらめの違い

私たちは「人生にはいわゆる不幸や困ったことは起こりうる」と
どこかで分かっていながら、
許したくない、認めたくない、もしくは極端に恐れていないでしょうか?

もしくはネガティブなことが起きた時、どうしてこんな不幸が自分に起きたのかと
許せなない気持ちになりますね。

私たちは、
「悪い」というレッテルが貼られると、それらを変えられなければ苦しくなり、
「良い」というレッテルが貼られると、それが変わろうとすると苦しくなります。

続きを読む →

悟りで思考は現実化する?

欲しい物は何でも手に入る、
どんな自分にでもなれる、
世界は自分の解釈でできているから、自分の思い通りになる。

そういった趣旨のセミナーや関連書籍はとても人気がありますね。

さて、覚醒体験の後、私は願望実現系の本を全て捨ててしまいました。
覚醒体験の後は、引き寄せの法則って一体なんだったんだろう?と、そう思ったものです。続きを読む →