ルパートスパイラ ” There is something to do.”


するべきことはある。


ルパートスパイラさんの講話 ” There is something to do.” を翻訳しました。

参加者の質問はこんな感じー。
「 全てはただ起きているだけで、私がするべきことは何もないことは分かっているのですが…
癒したい、癒されたいという衝動が起こるんです。
でも、「私はただ観察しているだけだ」とも思います。
この二つの考えを行ったり来たりして悩んでしまいます。

ルパートさんはこれに対して、
「ネオアドヴァイタの「何も起きていない」といったビリーフを
鵜呑みにしないでくださいね。」と語りかけます。

ちなみに ネオアドヴァイタとは、トニーパーソンズ や ネイサンギルなどを筆頭にした
新しいアドヴァイタの概念だそう。

ネオアドヴァイタと言われるティーチャー達は、人間的なストーリーに巻き込まれる事無く、
「何も起きていない」といったシンプルな言葉で、本質を伝えてくれますね。
それはとても大切なエッセンスだと思います。

ちなみに、本当の私(本質)を言葉で表現するのなら、
「何も起きていない」とか「誰もいない」は確かにより近しい表現です。

それでも、本来意味のつかないものを言葉にするという時点で
どうしても矛盾してしまいますね。

もし、聞き手が生まれたばかりの赤ちゃんか、机か椅子なら、
「何も起きていない」を、きっと本質通りに捉えてくれるでしょう。
つまり、そこに意味を付けず、ただの音としてあるがままに受け取ってくれるからです。

でも、私たちは自我を通して「解釈」します。

たとえば、「何も起きていない」と言えば、
何をやっても意味が無いー無駄だーというようなニュアンスをくっつけてしまうかもしれません。

非二元の教えを、解釈を通して暗記してしまうと、
本質が織りなす「それ」とは、どうしても違いが生まれてしまうんです。

それなら、その違いにこそ注目してみたらどうだろうと思うのです。

本質は、世界に一切の区切りを与えず、ジャッジせず
ただただ喜び1つで表現しています。

逆に自我は、いつでも思考の檻の中。
「何も起きていない、意味が無い」(無力感)とか、
「全ては完璧だから、何もしない!」(怒り)というように、
世界から自分を切り取り、より頑丈な鎧を重ねていきます。

 


本質から切り離された感覚は心の傷に


動画の中でルパートさんは、
「本質から切り離されたという感覚は
分離された自己のハートの中に、傷として存在します。」
と語ります。

ハートの傷、
それは、単純につながりを求める叫び声です。

このハートの傷(苦しみ)が作動するということは、
「私だ」と信じているものがここにあるよ、
「分離を許すものがここにあるよ」
という愛あるサインなんです。

だから、何もすることはないといって
その叫び声を無視しないでください^^
ぜひその叫び声を聞いてあげてほしいと思います。

それは、切り離された何かから、
ホームへ戻ることです。

自我の錯覚から現実へ戻ることですね。

それは、苦しみのスイッチをヒントに、
よく思いを見つめるところから始まります♩

ルパートスパイラ There is something to do.

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