人に嫌われるかもしれないと思った時

ある集まりに向かう途中、私は体がなんとなく緊張していることに気がつきました。
手がつめたくなって、胸が少ししめつけられる感じです。

感覚が何を訴えているか感じてみると
「人に嫌われるかもしれない」という思いがあることに気がつきました。

へぇ、そんな思いがあるのかと観察を続けていると、
ふとパラダイムシフトが起きました。

「他人に対して、私は最初から何もできない」ということに気がついたんです。

個人の私たちは、他人の好みに対して何もできません。
誰かに、無理やり何かを好きにさせたり、嫌いにさせることはできませんよね。
しむけることはできても、決定づけることはできません。
決めるのはいつだって本人以外にいないからです。

たとえ私が相手の言うままに動いても、相手は満足しないかもしれません。
たとえ私が誰かのために全財産をなげうっても、相手には迷惑かもしれません。

私は息子をとても愛していますが、
愛されていると信じることを息子に強要することはできません。
愛されてると決定するのは息子しかできないことです。

私たちは、相手の決断に対して、驚くほど何もできないのです。

最初から何もできないときー、私はどうすればいいでしょうか?

そう、あきらめることしかできないですね。

それは投げやりになることではありません。
何もコントロールできないのだから、ただ、自分らしくあるだけです。

相手は、私を嫌ってもいいのです。
誰かはあなたを嫌っていいのです。
あなたは誰かを嫌っていいのです。

それは逆に言うと、
誰しも自由であるということです。

私は相手に私を嫌うことを許したとたん、
急に緊張がほどけていきました。

最初から何もできないのだから、
優秀に見せる必要も、
美しくみせる必要も、
おもしろく見せる必要もないですよね?

そして緊張がほどけてみると、本当に注目すべきは
自分の気持ちだということも分かります。

嫌われるかもしれないと思ったとき、
それは自分のどんな部分が嫌われると信じているのでしょうか?

話しがつまらない?
太っている?
暗い?

それは、あなた自身が、愛せてないあなたの部分かもしれません。

嫌われることが平気になるのは、
あなたが認めていない嫌いな部分を
あなたが認めるからです。

自分が愛を持って承認していれば、相手に何を言われようと、
別に関係のないことです。

ところが自分が認められていない、人に知られてはまずいというようなことは、
評価が心配でたまりません。

だから、人に嫌われるかもしれないと思った時は思い出してください。

個人の私たちは、他人の感情や好みに対して、最初から何もできません。
だから相手の気持ちをコントロールすることをやめます。
そして、相手の気持ちより、自分の観念や感情に注目します。
そして、自分を認めてください。

非二元の世界に立ち返ってみれば、
不安に思った相手と、
あなたの間に境はありません。

たとえどんなに離れていようと。

たとえどんなに気持ちが入れ違おうと。

素敵だと思いませんか。

嫌いな人も、憎たらしい人も、思いが通じない人も、
まるで途切れようがなく、違いなんてないのです。

まるで何もない空間で、どこかの部分が好きで、
どこかの部分が嫌いだというわけです。

だから、絶対値の中で、嫌われるという体験は奇跡です。

だから、絶対値の中で、気持ちが通じないという体験は奇跡です。

そこに気がついたとき、私たちは本当の意味で自由になれますね。

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