覚醒体験2 起きてることに何の意味も付かない

ある日の夜、幼い息子がコップをテーブルから落として割ってしまいました。

お気に入りのコップが割れているのを見た瞬間、
私は「あ〜!」と叫んでしまいました。

息子が泣き出し、そしてもう一度コップに目をやった瞬間、
改めて覚醒体験ー。

驚く程、コップは割れているだけだったのです。

相変わらず、どこにも切れ目はなく、

相変わらず、どこにも意味が付きません。

コップはただそのままの状態で割れているだけ!

 

はっと、泣いている息子に改めて気がつくと、
とても不思議な感じがしました。

コップをぶつけられたわけでもなければ、
怪我をしたわけでもないのに、
息子の泣き方は、出来事と一致しないと思ったからです。

 

私は今まで、「コップを割る」という出来事に
どれほどの意味を与えてきてしまったのでしょう

 

本当の私たちに立ち返れば、
出来事の解釈や社会通念は真実ではありません。

 

突拍子もない比較に聞こえるかもしれませんが、
「コップを割ってしまった、自分はドジな人間だ」と信じる事と、
「今日は晴れている、自分はドジな人間だ」と信じることは同じです。

もしかしたら、そんなはずはないーと思われるかもしれません。
私は体重○キロだから太っているとか、
私は年収いくらだから負け組だとかー
私たちの思いには痛みがくっつき、
そして真実みがあるのもよーく分かっています。

それでも、本当の私たちからみて、
どんな思いも全て
「今日は晴れている」
と同じことなんです。

本当の私たちは、 どんな物も、どんな状態も、どんな自分も、
個人の私たちが到底思いつかないような至高状態で、
ただ、表現しているのです。

出来事はただ起きるだけで、
元々何の意味も付かず、
絶対の至高状態なのですから、
出来事と解釈は、本当の意味では、イコールにならないのです。

 

「空が青い、私はなんてドジなんだ」
それはイコールにならないですよね?

「彼にふられてしまった、私は愛されない人間だ」
それはイコールにならないですよね?

「就職が決まらない、私はダメな人間だ」
それはイコールにならないですよね?

それがイコールになるとしたら、
何がそうさせているかというと、
「自分」なんです。

もちろん、出来事に対して現れる感覚や感情、思考は
人としてとても自然なことだと思います。

でも私たちは時々、自分が信じたこと、自分が決めたことを
本当だと思いすぎて、 苦しみすぎています。

もし、「今日は晴れてる=私は愛されない」を 永延と繰り返しているとしたら?

そして苦しんでいるとしたらどうでしょう?

苦しみの大きな原因は、
「自分の思いを信じること」

だから、握りしめている思いに気がついて、
1つ1つ手放してみませんか?

本当の私たちがそうするように。

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